自分のご機嫌を大切にする本当の意味

コラム

自分のご機嫌

「自分のご機嫌を大切にする」とか

「自分に優しくする」とか

「自分を出す」といったことを

見かけるようになって数年経ちますが

勘違いしやすいし、むしろ私も勘違いしてたなー

と思うことが多々ありました。

なのでその辺りについて私の考えをまとめてみました。

そもそも自分のご機嫌って何?

自分のご機嫌を優先する
といった風潮がこのところ
よく見受けるようになって

それはそれで良いことなのですが
勘違いをすると
ただの感じ悪いヤツになりかねません。

機嫌とは

簡単にざっくり言うと

「自分にとって心地の良いこと」

になりますね。

例えば

・お風呂でシャワーで済ませるだけじゃなくて湯船にゆっくり浸かる時間をつくる。
・湯船につかれるくらいのお湯を自分のために入れる。
・コンビニスイーツより本当は気になるお店のスイーツが食べたいからわざわざそれを買いに行って食べる。
・いつも我慢しちゃうから、自分の思いを柔らかく伝えてみる。

とかね。

ポイントとしては
それによって誰かを傷つけたり
迷惑をかけるようなことを
進んでするわけではありません。

自分が良ければ相手をないがしろにしていいのか

ここ、よく勘違いしがちですが

例えば

自分が言いだした
やりたいことがあったとして
小さなイベントを企画したとします。

で、イベントの数日前に
なんか気持ちがのらなくて
自分のご機嫌を優先したいから

自分の気持ちがのらないのでイベントを中止します。

とアナウンスした。

どうでしょう。

自分が参加者だったら

「はぁ??」

って思いませんか?

自分の時間をそのために空けて楽しみにしていた。

その日のためにあれこれ準備も進めていた。

多くの場合が参加費なども発生している。

でも返金対応はしたし、問題なし。

だって自分の気持ちが乗らないんだから仕方ないじゃない。

って本気で思うのかって話、

なんとなくご理解いただけますか?

あなた(主催者)の都合は参加者(お客様)には関係ないのだから

せめて、日を改めるとか丁寧にお詫びするとか、誠心誠意を込めて対応する、

そういうのって必要ですよね。

じゅずとも
じゅずとも

ま、あくまでも例えなのですがね・・・。

勘違いパターン

自分が良ければそれでいい。どんな言い方しようと私の勝手。

私の都合が全て正しい。

詳しく説明なんてしなくてもなんとなく伝わるでしょ。

少なからず私はこういう人は嫌いです。

相手に愛をもって接することができない時点で人間としてどうなんだ?

と思ってしまうので。(あくまでも私の価値観です)

人間がコミュニケーションをとる意味って分かり合うためだと思うのです。

相手のことを知りたい自分のことを知って欲しい

そんな思いからの行動ですよね。

そこに、

言いたくても言えない、とか

言わなくてもわかってよ!

みたいなこじれが起きてコミュニケーションエラーは起きてしまうのですが。

話がずれましたが

自分のご機嫌をとることと相手をないがしろにすることは、イコールにはならないはずなのです。

結局のところの間違っちゃいけないこと

じゅずとも
じゅずとも

自分のご機嫌をとることで何をしたいんっだっけ?

自分のご機嫌を取ることで人が離れて行くことを望むなら

それはそれでいいのですが多くの人はそうではないと思うのです。

自分のご機嫌をとることで自分が満たされ、心に余裕ができ、

気力体力が出てやりたいことを十分にやれる。

心に余裕のある人で無作為に人を傷つけるような人はいないと思いませんか?

自分がご機嫌になる

自分が満たされる

人にも優しくできる

相手も気分がよくなる

つまり自分をご機嫌にすることは

結果として周りの人も大切にすることに
つながります。

もし、自分のご機嫌をとっているのになんだかうまく回らないように感じるなら

それ、自分のご機嫌取りを勘違いしているかもしれません。

本音を伝える時でも相手はどう思うか、どう感じるか

そんなことを無意識レベルで配慮でき

でも心から相手を信じ真正面からぶつかっていける人。

そんな人が本物のご機嫌な人なのではないでしょうか。

強さを優しく表現するそんな人が私は理想です。