視点が変われば世界は変わる

コラム

視点が変われば世界は変わる

お正月の駅伝。

小さい頃、お正月の挨拶に母方の祖父が駅伝をじっと見ていて

楽しさなんて全くわからなかったんです。

じゅずとも
じゅずとも

じーちゃんはいつも駅伝見て何が楽しいんだろ

って幼心にずっと思っていました。

 

あれから30年くらい経ってみて今駅伝を見ると、

自分がお母さんのような目線になっていて

 

みんな頑張ってるよね。

ここを走るために必死に練習してきたよね

って

1人胸が熱くなります。

 

実際、15歳くらいの年の差ですがね(笑)

想像力が豊かになったのか何なのか異様に感動することが増えた気がします。

 

あぁ、オトナになったなぁって(笑)

世界は自分でつくっている

見る角度や視点によって、世界はあらゆる表情に変わるようでいて

それは自分という視点を通して変わっているように見えているだけで、

現象としては、ただそうあるだけなんですがね。

 

誰からの情報であるかも大切だけど

受け取る側の受け取れる角度というかすくう網目の荒さによって、

すくい取れる容量は変わってくるなぁって。

 

これって、個人差もあるし経験値の差でもあると思うのですが

同じ本ひとつとっても最初に読んだ時と、数年後に読むのでは

受け取りかたが違ったりしますよね。

 

そう考えるとやっぱり

受け取る側の容量や受け取り角度次第で

情報はまるっと、発信者の意図とは関係なく変化してしまうこともあるなぁっと。

結局、世界は自分次第だなぁと思うのでした。

自分のくせを理解する

何か新しいメニューを考えたり提案する立場ではあるのですが

いつも、その先までパパパン!とイメージが湧いて具体的な流れまで考えてしまい

こと、自分においては結構これが曲者だったりしました。

良さそうに聞こえるかもしれませんが、そうすると私の場合

始めの1歩にとりかかるのがものすごく遅くなります。

考えて答えが出ない状態完成してない状態だと進めなくなる。

あると思うんです。

完璧主義だったりすると余計に完成しきったものしか世に出してはいけない

というような謎の強迫観念。

 

そうするための筋道はわかってる。

でもそこまで到達するまでの道のりを見て一人無駄に焦ってあわあわするというか

あれもやらなきゃこれもやらなきゃ!

という思いと実際に行動できる量の差に愕然と

 

じゅずとも
じゅずとも

なんでこれしかできないんだろう。

とげんなりしてました。

 

げんなりし続けても何も変わらないので(笑)

そこで視点を変えてやってみたのが

自分の使える時間(仕事に使う時間)とキャパをきちんと見直すこと

そうすることで私の場合

フィールドの違う誰かと無駄に競うことなく

ひとりブラック起業にならず(私、子供いなかったり、男子だったらこれやりかねないw)

自分の心地良い進め方がわかるようになりました。

 

視点を変えると世界が変わる。

世界が変わると自分の動き方も変わる。

よかったらお試しください♪